いや、それは考えても詮無いことだ。
異常事態に私は驚愕や絶望なんてものを覚えるよりも早く。
「ふふっ……」
笑みを浮かべていた。
何が起きたのかはわからない。
だが、面白い。
わからないからこそ、面白い。
「1匹残らず、還してやるとするか」
私は出口から階段を一足飛びで駆け下りる。
手始めにこの校舎の中に入ってきた奴らからだ。
ざっと4、50ほどか。
札は足りている、サブウェポンは除霊棒1本あれば十分。
あまりの膨大な霊の数を目の前にし、大量に分泌されるアドレナリンが、私の霊力を高揚させる。
先ほどの牛の化物には到底及ばない雑魚ばかりだが、この異常な数、数、数。
1匹ずつでは相手にならない。
さぁ、まとめてかかってこい、雑魚ども。
この七宮芹を倒せる自信があるのならば!
――今晩は少しばかり楽しめそうだ。
そう思うと同時、口の中にかすかに残るタバコの味と匂いが、やけに美味に思えた。
* * *
「がぁっはっはっ! さすがは噂に聞く七宮芹さんですなぁっ!」
翌昼、私は除霊が完了した旨を羅剛氏に伝えると、彼は大声で笑った。
「まったく、勘弁してください。お話が違うじゃありませんか」
私はジロリ、と非難の目を羅剛氏に向けつつ、コートのポケットから取り出した札を見せつけた。
その枚数、ちょうど100枚。
この札の1枚1枚に昨晩封じた悪霊たちが納められている。
「まさに百鬼夜行です」
さすがに一晩でこれだけの数を相手にしたのは新記録だ。今までのダブル、トリプルスコアどころの話ではない。
「いやはや、申し訳ない。あいにくワシは幽霊とかいう類が見えない体質でしてな。見える相手ならば、
ワシが拳で片をつけてやるところなんですがの」
ギュッと拳を固めた音が聞こえた。
「ところで、依頼料の件ですが……」
「おお、失礼失礼――」
ごつい手で彼は1枚の紙に、机に置いてあった筆でサラサラと文字を書き始めた。
「――このぐらいでよろしいかな?」
羅剛氏は私に1枚の小切手を差し出した。
本来の依頼料よりも数倍に相当する額だったが、【追加オーダー:100体】を考えれば、これでも格安な方である。
とはいえ一晩でこれだけ稼げたと考えれば、御の字。一般家庭ならばこれだけで2、3年は一家揃って働かなくても
食べていける。
「昨晩、霊の1体から話を伺ったのですが――」
その話を聞いた霊が収められていた札をこれみよがしにヒラヒラと見せ付けつつ、私は言葉を続ける。
そいつはなんとか話の通じた、元人間霊。
生前はこの付近で暴走族の頭を名乗っていたそうだが、無謀運転によるバイク事故で死んだらしい。
ちなみに彼には「自業自得だ、阿呆」という有り難いお経を唱えてやって、あっさりと封じ込めた。
「どうやら、屋上にいた牛の霊がこの地域のボスだったそうですね。それを私が倒してしまったため、ボスのいなくなった
この学園を巡って、数多の霊が集ってきた……」
「ほうほう、それはそれは。ここに居座ったモノが一番強い、などという幽霊同士の覇権争いといったところですかのぅ」
「まぁ、そんなところでしょうね」
「がぁっはっはっ!」
と、彼はまた大きく笑った。
一番上の者がいなくなれば、下の者がそのポストを巡って抗争を始める。
人間の世界にかかわらず、霊の世界にかかわらず、どこにでもある話だ。
「おそらく、今晩も……いえ、今晩に限らず、今後ずっと。学園の椅子取りを巡って、また数多の霊が
やってくることでしょうね」
随分と賑やかな椅子取りゲームだ。
「それは勘ですかな?」
「いえ、経験に基づく推測です」
「ふむ……」
「あの程度のレベルならば100程度の数、私にかかれば問題はない。ですが、毎晩、こんな額を
私に支払い続けていたら、コチラの学園はいずれ廃校になりそうですね」
「ふむ、廃校か。それは困るのぅ」
本当に困っているのだろうか。
学園長の言葉に困惑や危機感といったものは微塵も感じられなかった。
「まぁ、どうですかな。冷める前に1杯」
こんな切羽詰った状況にも関わらず、呑気に茶を進めてくる辺りからも伺える。
テーブルに出されていた緑茶はまだ湯気を立てていた。
「……いただきましょう」
私は湯のみを手にとり、学園長が直々に出してくれた緑茶を口に含む。
「……む」
舌の根元にわだかまる、ほどよい苦味が心地よかった。
煎れてから少し経ったお茶は温度も熱すぎず、濃すぎず、ちょうどいい。
パソコンのキーボードを素手で粉砕してしまうような人が煎れたとは思えないほど、繊細な味だった。
「よかったら、こちらも。口に合えばよいのですがの」
一緒に出されていたお茶菓子。
くるみゆべしだ。
羅剛氏は1個を丸ごと口に放り込んでいたが、私は細かくちぎっては口に運ぶ。
「……ふむ、これは美味しい」
素朴な甘さ。
大粒のクルミの香ばしさ。
口の中に残っていた緑茶の苦味と渾然一体となる。
「口に合いましたかの。一風堂のゆべしはワシのお気に入りでな」
「それはそれは。気が合いますね、私も和菓子には目がなくて。そして、このゆべしに緑茶がまた合う」
ずず……と、茶を再度すする。
まるで縁側での老人の茶飲み話のように語らいながら、私と羅剛氏は向き合い、微笑み合った。
緑茶と和菓子が好きな人間に、悪い奴はいないというのが私の持論だ。
もちろん、この私とて例外ではないわけだが。
「それで、芹『先生』。無礼を承知で申し上げるが」
「……何か?」
私の敬称に若干の違和感を覚えつつ、私は返事をした。
「我が学園に勤務する気はありませんかな?」
彼の口から出た言葉は、私の想像を2回り半ほど超えていた。
「……はぁ?」
突然の申し出に私は思わず間の抜けた言葉を返してしまった。
驚くことにはなれているつもりだったが、あまりの突拍子のなさ。
こんな声を出したのも随分と久しぶりな気がする。
「いや、実を申しますと、芹先生のような除霊師を雇ったのも、1度や2度じゃありませんでな」
「でしょうな。この学園の物珍しさが引き付けるのは、人間だけではないようですから」
人間だけでなく、霊体の興味をも惹いてしまう『何か』が、この学園にはあるらしい。
故に、昨晩は数多の霊が学園に集った。
「ですから、除霊師である貴女に在籍していただきたい。貴女がこの学園にいれば、悪霊とやらも
早々近づけなくなるのではないかと思いましてな」
「羅剛氏――」
私は羅剛氏の双眸を見据えた。
「――それは私を、七宮芹と知っての発言か?」
これでも眼力には自信がある方なのだが。
「ええ、もちろん、稀代の美人除霊師、七宮芹と知っての発言ですぞ。どうですかな、芹『先生』」
羅剛氏は私の視線を、柳の木のようにいとも容易く受け流し、笑みを浮かべながらそう言った。
きっと彼の中では、私が勤務するということは既に決定事項に違いない。
私はフゥと溜息をついた。
「まったく……強引ですね。羅剛氏、あなたという方は」
「申し訳ない、面倒くさいことはできぬ性分でしてな。かれこれ80年以上もこうして生きてきてしまった。
今更、矯正もできんので、諦めてもらえれば幸いなのじゃが」
がっはっはっ! と、彼はまた大きく笑い、テーブルに置かれていたゆべしをポイッと一口で頬張る。
私は強引な人間が嫌いではなかった。
稀代の除霊師として、尊敬、または畏怖される立場となってからというもの、へこへこ頭を下げ、媚びへつらう奴を
見続けてきた反動かもしれない。
「なるほど……」
「ご理解いただけましたかな?」
「理解はしましたが、『はい、そうですね』と、言うわけには行きません」
「ほう……?」
「私は私より弱い奴の下につくつもりはないもので」
羅剛氏の眉がピクリと動いた。
それは私の言葉が興味を惹いた証だろう。
「もちろん、格闘家としてもご高名な、豪徳胤羅剛氏を愚弄しているわけではないのですがね」
「ふぅむ……」
羅剛氏は考える素振りを見せたが。
「ならば、わしと一戦、交えてみませんかな?」
一瞬の後に、そう言った。
素振りだけで、あらかじめ考えてあった言葉に違いない。
「なるほど。それはそれは、とてもシンプルですね」
「わしか芹先生、お互いのどちらかが相手から1本を決めたら、条件を呑むということでいかがかな?」
羅剛さんは自身の提案にニヤリ、と実に楽しそうな笑みを浮かべた。
やはり、彼はそういう人だ。
「ふむ」
彼同様、私も考える素振りを見せるが、心の内では大方が決定していた。
「なるほど、羅剛さんが勝ったら、薄給で学園の講師でもなんでもやらせていただきましょう。
ですが、私が勝ったら――」
勝った時の、私にとっての好条件が思いつかなかった。
「――勝った時に提案させていただきます」
勝った時の条件などどうでもよかったのかもしれない。
私自身、楽しい戦いに飢えているのだから。
* * *
私と羅剛氏は校庭へと場所を移した。
学園長室が普通の教室よりは広さがあるとはいえ、私たちが戦うフィールドとしては、物が多過ぎ、そして、狭すぎる。